「綺麗だな」


そう言って彼は俺の被っているまっ白なベールに1つキスを落とした。俺は少し恥ずかしかったけれど、これは彼のスキンシップの一つだってことを知っていたから抵抗はしなかった。彼はいつも決まって俺を誉める時には誉め言葉と一緒に体のどこかにキスを落とす。それは最早癖のようなもので、最初こそ抵抗していたものの今ではすっかり慣れきってしまっていた。それだけユーリとは長い付き合いだったのだ。昔からの顔馴染みで、幼なじみ……ユーリは自分の数少ない親友だった。それがユーリ・ローウェルと自分との関係だった。



「そう……だね……」



彼に小さく返事を返し、比較的大きな衣装部屋を見回す。いつもはない華やかな飾り。豪華なシャンデリア。大きな硝子の鏡。そしてその鏡に映るのは純白なドレスに身を包んでいる……自分


……ユーリは綺麗だと言ってくれたたけれど俺は


(……こんなの全然綺麗じゃない)


いつかはこうなることだって予想はついていた。それがただ今日だというだけの話で。
はたから見れば麗しい結婚式。幸せそうな顔をした花嫁と新郎が、民に祝福されながら誓いのキスをして結ばれていくーーーーー

だけれど実際は……顔もよく知らない、名前しか知らない相手との結婚。所謂、政略結婚。それがラントを存続させるための条件だった。裕福な相手の男は自分と婚約を条件にラントの存続を約束した。領主である俺には、ラントを守るその義務がある。「女」領主である俺は、そうしなければいけないだけの役目があった。だから俺は……その条件を、自分から呑んだのだ。例え、相手の顔も性格も分からないのだとしても。



「ほーんと綺麗だな。馬子にも衣装とはまさにこのことだ。」
「……おい。茶化すなよ……」



ユーリはこんな晴れの結婚式の日にだっていつもと変わらず減らず口を叩く。だけれど俺はそれがやけに嬉しかった。結婚式というだけで周りが騒ぎ立てる中、ユーリだけがいつもと変わらない、昔からの態度で俺に接してくれる。それがとてつもなく嬉しかったのだ。………それに何より……これがユーリとの最後の会話なのだから。




「……おいおい。何泣いてんだよ。」
「…ひっく…だ、だって……ふっ……ふぇ……っ」
「……」



これで最後



自分で勝手に思ってしまったことなのに、何故だか急に悲しくなってきて涙がぽろぽろと溢れだす。
この式が終わってしまったら、もう俺はラントにはいられない。ラントには、俺ではない別の使いのものが置かれ、その人がこの場所を治めるのだ。俺は相手の家督を存続させることだけにこれからの人生をかけなければいけないのだ。そうなると外にもあまり出してもらえないかもしれない。せめてラントと場所が近ければ…………その想いは届かない。相手の屋敷は海を越えた遠い場所。



(ユーリと……お別れなんだ……)



からかわれるのも最後。話すのも最後。一緒に過ごすのも最後。ユーリと会うのだって、これで、最後。そう考えたら涙が止まらなかった。まだ、一緒にいたい。ずっと一緒にいたいのに。それが出来ない自分がとてつもなく悔しかった。でも領主である俺は、それでしかラントの守りかたを知らない。おれはラントを、ラントの皆を守りたい。だから。だから、これで、これで良いんだ。


「……ユーリ。俺のこと忘れないで。絶対……絶対に、忘れないで……」
「……」
「おれ……私は遠くに行っちゃうけど、ユーリのこと、絶対に忘れないよ。……だからユーリも私のことわすれな「言いたいことはそれだけか」


いきなり強い力で腕を引かれたかと思ったら俺は彼の胸の中に収まっていた。あまりに突然のことに俺はユーリを押しのけて離れようとしたけれど、女と男の力の差は歴然だった。やめて。やめて。やめて。これ以上、ユーリの近くにいたら離れることが、もっと辛くなってしまう。離れられなくなってしまうかもしれない。ずっと一緒にいたい、なんてそんなワガママ通用するはずなんてないのに。だからこそ俺はユーリから離れようとしているのに



「ゆ、ユーリ…は、離してくれ……!もう、行かなきゃいけないんだ……!」
「言いたいことはそれだけか」
「…は」
「言いたいことはそれだけなのか」
「……ど、どういう………」
「お前の言いたいことはそれで終わりか」
「……?」


彼の言いたいことが分からない。ユーリは一体なにが言いたいんだ?


(……熱い)


でも、彼に抱き締められた身体がとても熱いことだけは分かってしまった。ユーリに触れられた部分が、とても熱い。まるで熱でもあるかのように。



「……お前はまだ俺に、言ってないことがあるんじゃないのか?」



私が、ユーリに言っていないこと?


「わた…し……は…………」



自分の気持ちが分からない。疑問ばかりが浮かんでは消え浮かんでは消え…………また浮かぶ。彼に抱き締められてどうしてこんなに胸の中が熱くなるんだろう、とか。彼の胸の中がとても心地よくて、ずっと甘えていたくなるのはどうしてなんだろう、とか。分からないことが多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。ユーリ。ユーリ、ユーリ!分からない。分からないよ……!



「わ、わた……お…………おれ、は……」








「俺は、領主としてのお前の言葉じゃなくて、お前の本心をまだ聞いちゃいねぇんだよアスベル」








ーーー俺の、本心?

俺の本心はちゃんとユーリに伝えたはずだ。ラントを守りたい。ラントの民を、俺が守ってやりたい。俺の本心はこれだけだっただろ?ずっとラントのために生きるって、そう決めていたじゃないか。だって、そうしなければいけないだろ?俺はラントの領主で、義務があって、そうしなけらばいけなくて……なのに、何でなんだろう。どうして、どうして、こんなに……



どうしてこんなに胸が苦しいの



「アスベル」



ユーリはじっと俺の目を見てもう一度名前を呼んだ。…………あぁ、違う。違うんだ。ラントを守る。それはただの領主としての「建て前」で、ただの領主としての「義務」でしかなくて。俺の、俺の本心は

…………俺の本心はこれじゃない!!






「俺……まだ……まだユーリと……一緒にっ……!!」





俺が最後まで言い終わる前に彼はニヤリと笑うとそのまま俺のベールを剥ぎ取って、


「ちゃんと言えんじゃねーか」


微笑んだ。



ーーーあぁ、俺はやっぱりユーリじゃなければ駄目なんだ。涙で視界が滲んでいるのに、世界が眩く光っているのはきっとユーリがいるからだ。さっきまではあんなにも暗くて寒かったのに、彼の笑顔を見た途端、何もかもを捨ててでも、彼の隣にいたいと願ってしまった。



「ほら、行くぞ!」



彼は俺の手を掴んで走り出す。痛いぐらいに強く、離さないとでも言われているようでーーーーー
後ろはもう……振り返らなかった。




「……ところで……これからどこに行くんだ?ユーリ」
「……んー?お前とならどこへでも」





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